『試聴屋』掲示板


目次に戻る

No.1229  稀な体験でした。  2003/9/16 14:01
名前 TDMA  メール先
連休の間に、芸術の秋を託って一風変わった体験をしました。
その一は、秋の上野芸大祭に闖入し、奏楽堂で学生の作品発表です。  ここは建物は古いが非常に響きが良く、学生の楽器も、スタンウエイもとても良い音がしていました。 
その二は、近くの旧区役所を大改装した小さなホールに、何とあのブタペスト弦楽四重奏が来て、ラズモフスキー他を演奏。 運良く最後の2席はなんと最前列中央でした。  世界の超一流演奏家を、文字通り眼前で聴けたのは、それこそ一生に一度のこの上ない幸運でした。

実は始め池袋(イケオン試聴)と秋葉で最新のアバンギャルドSP等を試聴しようと張り切って出掛けたのですが、これらの体験後は両方とも3分も我慢が出来ず、逃げる如く退出して仕舞いました。いつもは1時間近く留まっていろいろCD掛けて居た筈なのにーー。
これら両方の体験は、予想したとは言え、私には想像以上にインパクトの強いものでした。  気の短い方なら、自分のオーディオ装置を即刻叩き売ってしまったかも知れません。
まあしかし、それでは余りに短絡思考。  少しこの経験を自分なりに一抹の主観を交えて述べてみます。

以前、これも偶然に墨田トリフォニーHでパユ(Fl)四重奏団を聴き、素直な良い響きに感激したのを思い出しました。 この時は席がかなり後ろだったコトもあり、その少し前に聴いたYoshii9の素直な広がりを伴った良い響きを思い出しました。 墨田はとても間接音が美しいホールでした。 
 
トコロが今回の経験では、基本的には同じ筈ですが、同じ「良い音」でもかなりニュアンスが違うと感じました。 奏楽堂の響きは、周りの蝉の声と混じっていたものの、ただ美しいだけでなくハッとする生々しさを感じさせます。 そこで演奏するものの裸の姿を生き生きと表現しますが、決して下品な生々しさではなく、「みずみずしさ!」と表現すべきなのでしょうか?  こんな良い音を毎日聴いたり出したりして居れば、たとえ音源が粗末なラジカセでも、十分良質な想像力がカバーしてくれるんでしょうね!   隣の学生に「良い音ですね?」と聞いてみたら「−???、ハァ?エエ!」とあまりに当たり前で意識してない様子でした。
学生の新作なので、始めと終わりに弓の背とFlに息を掛けるだけ?の長いフレーズがあり、これはツイータが必要でラジカセでは始まりも終わりも判らないでしょうから、先入観の効かない作品では彼らの想像力も限界が在るとは思います。(これは余計なこじつけです!)

ブタペストはそれはもう「別格!」。この上ない美音が飛び交う夢心地に、突如、研ぎ澄まされた音の切先が眼前に舞うかと思えば、突如静寂が襲います。巨大な蝶群の乱舞の真っ只中に放り込まれた如く、目くるめく心地よい変幻自在な音のダイナミクスは、凄いの一言。でも決して聴覚を刺激するものではありません。  と言って、(安全な?)距離から、余裕を持って眺める「一幅の名画」とは全く異なるものです。  弾き手の高揚感が、音に乗り移り、踏ん張る足の緊張までが伝わって来ます。  普段は地味目のビオラが大活躍で汗一杯だったのも印象的でした。 これを聴いてしまっては、もう打つ手無しで、帰ってどうしてもオーディオのSWを入れる気がしません。

皆さんの仰るように、このレベルは既成の製品や概念を多少異なる観点で弄くった程度では到底届かず、根本から発想を変えなければダメな気がして来ました。
今のオーディオは高級拡声器文化の袋小路から何時抜けられるんでしょうか?
冷静に戻って(しまったら?)、また書き込みしてみましょう。
返事 削除

目次に戻る

Produced by 試聴屋
[WebNote Clip]