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SATRIアンプユーザ
片桐邸
※ほとんどの装置をSATRI製品で固めていらっしゃるヘビーユーザー様です。

CDトランスポート
DENON DCD-1650 AZ
DAC
BP DAC-2000
パワーアンプ1
BP SCA-7510(メイン使用)
パワーアンプ2
BP AMP-5510
スピーカー
BP TQWT (16cm2WAY)
YAMAHA YST-SW500



DCD-1650AZからDAC-2000へ

 CDプレーヤーとアンプをつなぐケーブル、D/AコンバーターとCDプレーヤーをつなぐケーブルは1月にタキオン様から購入させていただいたBPのものです。スピーカーケーブルはアンプからYAMAHA YST-SW500までがBPのアンデルセン、YAMAHA YST-SW500からBPのスピーカーまでがパイオニアのPure Cable 6 ninesです。

 私は自作マニアではなく、技術的なことは何も分かりません。純粋に一音楽愛好家としての視点から書かさせていただきます。


SCA-7510とAMP-5510(生産終了)

 私は22年ほど前(中学3年生)からステレオで音楽を聞き始め、以来トスカニーニやチェリビダッケ、グールドやリパッティなどの演奏家の名演に親しんで参りました。様々なメーカーの装置を購入し、様々なお店で数多くの機器と接してきましたが、どんなに良いものを聞いても、「これではない!」という思いがいつも頭から離れませんでした。しかし、「死ぬまでにきっと敬愛するトスカニーニの演奏の生の姿にこれまでよりずっと近いものが聞けるに違いない」という直感が働いていました。


SCA-7510完成品

 そしてこの直感を現実のものとさせてくれたのが、DAC-2000KとSCA-7510の組み合わせです。BPにはいくら感謝してもしすぎることがありません。「音」を再生する機械はたくさんありますが、演奏家の「魂」まで再現してしまうのはBPを置いて私は他に知りません。BPの製品は「高域が、低域がどうこう」という次元を超えています。

 「良い音か、悪い音か」さえ超えています。

 これで聞いていると、オーディオのすべての問題は「真実か、虚偽か」に行き着くという気がします。偉大な演奏家の演奏は本来偉大なものであって、それを正確に再現したときにこれほどまでの感動が起こるもののだということをDAC-2000KとSCA-7510の組みあわせは教えてくれた気がします。名指揮者トスカニーニは「指揮者の使命は作曲家の意図を忠実に伝える道具になることだ」と言っていましたが、BPの製品はまさに「オーディオのトスカニーニ」と言えるかもしれません。


SCA-7510完成品上部

 購入してすぐに驚いたことは、大音量で鳴らしている前で人と会話しても相手の言葉がはっきりと聞き取れることです。スペクトルが精密ににじまずに再現されるため、スピーカーの前で話す言葉と干渉し合わずに分離して聞こえるためと思われます。

 私は、最上の音楽は沈黙だと思います。オーディオで言えば、どれだけ無音というものを表現できるかです。世の中には「有」と「無」というものがあり、そのコントラストが自然界を作っているのに、オーディオだけは従来すべて「有」の世界に埋め尽くされてきました。つまり、本来沈黙(=無)の瞬間であるはずの休符のときにも、「サー」という雑音が入り込んでいたのです。これは聞いている側にとって大変疲れることです。


BP製TQWTスピーカー

 DAC-2000とSCA-7510の組み合わせの最大の美点は、この「無」の瞬間を再現できることだと思います。人間は「有」に埋め尽くされた時間の中にいるとくたくたに疲れてしまいます。ところどころに「無」があるからこそ、元気を回復し、癒されると思います。そういう意味ではDAC-2000とSCA-7510の組み合わせはヒーリングマシンとしての重要な要素を持っていると思います。音楽は、「無音」というものにどれだけ自己を委ねきることができるかにより、深さの度合いが決定されると思います。すぐれた音楽ほど「無」を意識させます。

 深い音楽ほどDAC-2000とSCA-7510の独壇場である理由はこういうところから来ているのだと思います。


 前置きが長くなりました。以下は特に感動したCDでの感想です。

1.トスカニーニ指揮、NBC交響楽団、ヴェルディ「リゴレット」第3幕(1944年録音、CEDAR AB78535/36 MONO)

 中間部分での盛り上がりが壮絶。歌手一人一人の個性が極めてリアル。空間イメージが手に取るように伝わってくる。最後のジルダの死の場面では「こんなに豊かな感情が一つ一つの音に込められていたのか」と驚愕するばかり。音というより、ひとつひとつの思いが空間に解き放たれていく様が、まさにその場で展開するかのよう。

2.トスカニーニ指揮、NBC交響楽団、ワーグナー楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー第3幕への前奏曲」(1951年録音、RVC BVCC5181 MONO)

 以前AMP-5510とDCD-1650AZで聞いていたときは、弦のそれぞれのセクションが団子になって聞こえていたのが、DAC-2000KとSCA-7510で聞くと、各セクション内の一人一人の音までが分離して聞こえるよう。さらに音の周囲に広がる空間までもが再現される。バスのうねりが忠実に再現されている感じ。それによってピラミッド状の音型が展開する。

3.トスカニーニ指揮、NBC交響楽団、ベートーヴェン「交響曲第9番」(1952年録音、RVC BVCC-7007 MONO)

 AMP-5510とDCD-1650AZでは、第3楽章後半部で現れる金管の信号音が1つのだまになって聞こえていたのが、DAC-2000KとSCA-7510では何本かの金管楽器にはっきりと分離して聞こえる。トスカニーニの録音を再生するときに付き物の「デッドな」感じが最小限に押さえられ低域から高域までフラットでしかも力強い。

4.チェリビダッケ指揮、ミュンヘンフィル、シューベルト「交響曲第9番 ザ・グレート」(1994年録音 EMI TOCE-9590)

 AMP-5510とDCD-1650AZでは、トラック5の11:58からのバスの強奏がブーミーに鳴り、その混濁が上の帯域の音を妨害して全体が見通しの悪い感じになっていたが、DAC-2000KとSCA-7510では下から上までがフラットなエネルギーバランスでスカッと鳴りきり、しかも分解能がよい。クライマックスがうまく鳴ると作曲者や指揮者の意図がここまで伝わるものかと感心させられる。重力から解放された自立的音場が出現する。

 最後に、BPの製品で音楽を聴いていると、心がとても安まります。神経が穏やかになり、よく眠れるようになります。スイッチを入れたまま寝てしまうことがよくあります。