一度いい音を聴いてしまうと後には戻れないので、以前のピンケーブルやスピーカーケーブルに戻すことはありませんでしたから、記憶があいまいなところもありますが、思い出して書いてみます。
まずはピンケーブルから。
◎アンデル線ピンケーブル
ピンケーブルは少しずつ替えたりしていましたが、テフロン単線にする直前までMITの1万円位のものをしばらく使っていました。それまでの同価格帯以下のものに比べると、解像度が高くて力強さがあるので結構気に入っていました。
その後、友人からJPS lab.の1.5万円位のケーブルを短期間借りる機会がありました。MITと比べるとJPSの方が透明感があって、ワイドレンジですが、ちょっと尖ったところもあって、全体としてはJPSに分があるものの、買い換えるほどではないという感じでした。その上となると、数万とかになってしまいますし、システムのバランスを考えるとそこまで出す価値があるとも思えませんでした。
このような状態で、テフロン単線で自作したピンケーブルに替えたわけですが、その差は余りに大きいものでした。傾向としては、JPSを更にワイドレンジにして、透明感を増した感じなのですが、非常に自然で癖がない、あるいはそこにケーブルが存在しないかのようになりました。それは、直接に分かるというよりも、試しにケーブルを以前のものに戻すと、音が曇ってヌケが悪かったり、音像がぼやけたりするので逆にはっきりとします。聴いて直接分かる点は、位相特性の良さで、音像定位が格段によくなりました。特に奥行き方向がはっきりと出るようになりました。ケーブルでここまで変わるとは驚きました。ケーブルが影響するのは承知していましたが、もうそろそろ機器の方の限界が出てきてケーブルは効かないのではないかと勝手に思っていたのですが、そんなことは全くなかったということです。
おもしろかったのは、2本撚りと4本撚りの違いです。市販のピンジャックに硬いテフロン線を4本入れてハンダ付けするのはなかなか大変なので、2本で済ませようかとも思ったのですが、明らかな違いがあって、結局4本になりました。2本にすると、不思議なことにボリュームが大きくなって、4本よりもむしろ力強く聞こえたのですが、詳細に聴き比べるとそうではなくて、音量はどちらも同じで、2本の方がわずかに混濁があって、高域が多少落ちるようです。それが、逆に中低域が厚くなったように感じられて力強いと思ったのかも知れません。逆に2本に比べると4本は余りに自然でちょっと聴くとむしろあっけないくらいでした。この2本と4本の違いは、先に述べたMITやJPSと、テフロン線との比較とは次元の違う話です。念のため。
実はもっと驚いたのはスピーカーケーブルにしたときです。
◎アンデル線スピーカーケーブル
ピンケーブルではテフロン線に替えることで予想以上の効果がありましたが、スピーカーケーブルについては、ピンケーブルより信号が強いところなのでそれほどの効果があるのだろうか?という疑問と、その一方で長さが数倍になるのと、それまで使っていたスピーカーケーブルがたいしたものでない(低域用がSAECのSPC-6Nで\2,000.-/m程度、高域用が古河のμ-T2で\2,000.-/m弱)ので、当然良くなるだろうという予想と半々でした。
テフロン線は4本撚りにして、その1本ずつをスピーカー端子の高音用、低音用の+−それぞれに入れるようにしました。
交換してみると、良くなりました。劇的に良くなりました。
誇張でもなんでもなく、それほどの違いがありました。
まず、予想された効果としては、ピンケーブルと同じく、透明で、音が突き抜ける感じになります。S/N比が上がり、間接音もよく聞こえて、定位もよくなりました。
それよりも驚いたのが、低域の量と伸びです。アンプを換えたかサブウーファーを付けたのではないかと思うほどの変化がありました。
使っているスピーカーはトールボーイ型で、ぶよぶよした低音が出ないのが魅力なのですが、反面、低音の量感は不足気味で、それはやむを得ないと思っていました。ところがテフロン線にしたら低音が出過ぎるくらいの改善がありました。後で、スピーカー位置を少し調節して低音を減らすことになったほどです。
少し前に再発されていたアナログ盤で、Jimi
HendrixのVoo
Doo Chileという曲のライブがあるのですが、これを聴く(アナログプレーヤーからのケーブルはコネクタの関係でテフロン線にはなっていません)と、本当にライブ会場に居るような気がします。
曲の最初はほとんどギターだけで、観客の声もほとんどしないのですが、ホールの大きさや観客が息を呑んで聴き入っている様子がよく伝わってきます。
超ハイエンド機で音響的に工夫された部屋ならともかく、ほとんど何もしていないうちの部屋で中クラスのシステムでこれだけの音が出るとは全く思っていませんでした。
贅沢なもので今はもうこの音に慣れてしまいましたが、たまにケーブルを戻したりすると、以前はケーブルの音を聴いていたのだ、ということが改めてよく分かります。